選択無形民俗文化財
富倉の笹ずし
指定 平成19年11月20日
笹寿司は戦国時代の武将、上杉謙信と深いかかわりがある。天文22年(1553)から12年間の間に5回の合戦があった川中島の合戦の際、富倉峠の頂上にあたる関田山脈の分水領で休息をとった上杉謙信の軍勢に対し、地元の人たちがふるまったのが始まりとされる。別名「謙信ずし」ともいわれる。県選択無形民俗文化財指定の押し寿司風とは違い、笹の葉の一枚ずつに飯と具を載せる握りずし風のものを指す。
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選択無形民俗文化財
いもなます
指定 平成19年11月20日
調理の際は、酢を入れるタイミングが重要で、シャキッとした歯触りを残すため、ジャガイモをさっと炒めて油がまわったらすぐに酢をいれる。その後砂糖・塩の順に加え水分がなくなるまで炒める。
また、デンプンを取り除くことも重要で、ジャガイモの皮を剥いたらごく細い千切りにして水にさらしてデンプンを取り除く。
盛りつけは、豪勢に丼に山盛りにして取り回しをする。
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選択無形民俗文化財
えご
指定 平成19年11月20日
全国的には東北地方から北陸、山陰、北九州に及ぶ地方で食されている。
起源は、「武士の時代から」、「封建の時代から」等の記述しかないが、古くから食べられていたことは確かである。
長野県には越後で採れたエゴ草が①糸魚川から姫川沿いに千国街道をとおり大町安曇地方や西山地方へ運ばれたルートと、②直江津から越後の魚商人によって飯山、栄村に運ばれたルートがある。魚商人が飯山の南部に行き着く頃には売り切れてしまったのか、飯山地区や秋津地区、木島地区ではあまり作られていなかったが現在は、婚姻や交流などにより飯山市全域で食されている。
冠婚葬祭などでは必ず供されるハレの日の料理である。
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選択無形民俗文化財
富倉そば
指定 平成19年11月20日
そばは、75日前後で収穫でき、手間がかからないことから昔から富倉では多く栽培されていた。そばは昔「そば切り」と言われていて、寺の精進料理を中心に発展してきた。また、ハレの日の食事として手間をかけて作ったごちそうでもあった。普段の食事では、ご飯がたりない時にそば団子、そばがき、おやき、うすやき等をつくり、米の足しにしていた。
富倉そばの特徴は、つなぎにヤマゴボウ(オヤマボクチ)の葉を使うことにある。一般のそばは小麦粉を使うが、富倉では麦が採れないので自然にあるものを使った。オヤマボクチは臭みがないのでそばの風味を損なわないため、そば粉100%でオヤマボクチをつなぎで打ったそばは風味が良く、腰が強く、噛みごたえがあって噛むほどにうまさが深まる。