~スキー発祥の歴史~
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説明
飯山の愛宕町に「妙専寺」があります。この寺の住職「市川達譲」は17代の住職であり飯山中学(現:飯山高校)の英語・体育の教師でもあり軍人でもありました。
明治44年、高田13師団参謀長がスキー講習会の参加者を募りました。この講習会の乙種の部に市川達譲が参加し、レルヒ少佐からスキー術を直伝されました。
市川は高田で学校用と自分のスキーを持ち帰り、翌朝スキーを履いて妙専寺大門を滑走しました。そのことで、妙専寺大門が長野県スキー発祥の地となった謂れとなりました。
また、小賀坂浜太郎、伊村栄蔵がスキー製作を始めます。
小賀坂は営林署・郵便局など職業的に必要とするスキー製作を、伊村は早大、専大、法大など学生スキーの指定製作所として第2次世界大戦までは飯山におけるスキー生産の中核をなしていました。
<ここで豆知識!>
長野県飯山市周辺(奥信濃地域)において、大正時代から冬の郵便配達にスキーが利用されていた歴史があります。この地域は日本有数の豪雪地帯であり、冬場は徒歩での郵便配達が困難だったため、技術の導入と共にスキーが実用的な輸送手段となりました。
大正時代初期、特に飯山や周辺の栄村などの積雪地帯では、冬の生活手段としてスキー(当時の表現では「一本杖スキー」など)が郵便配達や生活物資の運搬に取り入れられ始めました。郵便配達員は、重い郵便物を背負い、スキーを履いて深い雪の中を数百メートル、あるいは数キロ先まで配達していて、郵便配達に欠かせないツールとして地域に根付いていました。
