~土人形~

説明
長野県飯山市周辺で語られる「土人形(つちにんぎょう)」は、実は飯山市そのものというよりは、お隣の長野県中野市(なかのし)を中心に作られ、かつて飯山方面へも盛んに流通していた「中野土人形(郷土玩具)」のことを指すのが一般的ですが、歴史的な背景から、一部の系統が古くは「飯山土人形」とも呼ばれていたため、飯山の伝統文化や歴史を語る上でも欠かせない存在となっています。
北信州(中野市周辺)で作られている土人形は、主に「中野人形(奈良家)」と「立ヶ花(たてがみ)人形(西原家)」という2つの異なる系統があります。同一の地域でまったくルーツの違う2つの土人形が共存しているのは、全国的にも非常に珍しいとされています。
このうち、「立ヶ花人形」のほうが、かつて飯山土人形と呼ばれていました。
明治30年(1897年)頃、愛知県の有名な鬼瓦職人が、冬季の副業として地元の職人に土人形の作り方を教えたのが始まりです。この人形が主に千曲川を下った飯山方面で盛んに売り出されていたため、当時は「飯山土人形」とも呼ばれていました。
素朴で温かみのある質感がある土人形ですが、粘土を2つの型(前後の型)に押し当てて成形し、素焼きにした後、泥絵の具などを使って手作業で絵付けされます。
旧・飯山土人形(立ヶ花人形)は、瓦職人が歌舞伎に詳しかったことから、「歌舞伎の登場人物」や「歴史上の人物」といった、比較的大型で色彩が鮮やかなものが多く作られました。
中野人形は、大黒様や恵比寿様、お内裏様といった「縁起物」や「童子(子供)」をモチーフにした小ぶりのものが中心です。
表面に艶出しのコーティングを施さないため、年月が経つにつれて色が落ち着き、独特の渋い“味”やアンティークとしての深みが出てくるのも大きな魅力です。
